北野神社
 

宇治茶の手もみ製法
◎宇治茶の創始者 明恵上人
宇治における茶の栽培は、京都栂尾高山寺の明恵上人によって始められたと伝えられます。明恵上人は、師匠の栄西禅師が中国から持ち帰った茶の種子を、栂尾深瀬の地に播きました。上人はその後、茶の普及のため山城宇治の地を選び、茶の木を移植。それが、宇治茶の歴史のはじまりだったのです。
 
◎「喫茶養生記」と栄西禅師
日本における喫茶の基礎を築いた栄西禅師。その著作「喫茶養生記」には茶のさまざまな薬用効果が書かれており、人々にお茶を飲むことを奨励しました。その結果、貴族や禅僧から武士へ、そして室町期になると茶の湯へと形を変えて、現在の茶道へと姿を変えていくのです。
 
◎北野大茶会と豊臣秀吉
天正15年(1587)豊臣秀吉は京都北野天満宮の参道近くの北野松原で「北野大茶会」を催しました。秀吉みずから神前に奉献、参加した茶人は1000人にも及んだといいます。この故事にちなんで行われるのが「御茶壺奉献祭」(11月26日)と、それに続く「北野献茶式」(12月1日)。この両日は北野天満宮あたりは茶の香がただよいます。
 
◎宇治茶製法の改革者・永谷宗園
元文3年(1738)宇治茶生産は大きな技術革新を迎えます。それまでの釜炒茶から、蒸して手もみをする現在の製茶法へと移行することになります。その変革者が当時に茶業家であった永谷宗園。これを機に煎茶の製法は次々と改善され、日本を代表する名茶産地としての名声を築くことができました。